読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

つらつら草~平行読書中。

主に読んだ本のことについて書くと思います。

断章

詩はある程度の「短さ」がないといかんと思う(変な言い方だ)。これは個人的な好みである。しかしブログの場合はそんなに短い文章で済ますわけにはいかない。ツイッターのようになってしまうからである。そういった使い方をしている人もいるかもしれないが。小説にもある程度の長さが必要なのかもしれない。少なくとも短すぎると小説といわれなくなってしまう恐れがある。←いままでの文章でやっとツイッターを少し超えた程度。一万字も十万字も書くことは大変骨が折れるだろう。

 

読書に自分で一定の戒律を設けるのは有意義かもしれない。今日、これからしばらく読んでいく本を数冊決めた。といっても、すぐに読むのをやめてしまうかもしれないが。どうしても相性というものがある。たとえば、恋愛小説、姦通小説の類が少し苦手である。べつに嫌いだったり、生理的嫌悪をもよおすわけではないが、読んでいるうちに、ああ、これは、なにも時間をかけて読むことはないな、という気になってしまうことがある。しかし(大)名作と呼ばれているものにはこのジャンルが多いのも確か。曰く、源氏物語、ボヴァリー夫人、紅楼夢、若きウェルテルの悩み、ノルウェイの森、などなど、実際、この中に通読を断念しているものも、ある。というより紅楼夢は読んだことすらなく、ほかの作品は通読を断念した。なぜか。おそらく相性だろう。

 

あまりにも有名すぎる作品はあらすじを読む前に知ってしまい、読みずらくなることがある。そんなとき心を無にして読むことができればいいのだが、そんな難しいことなどできないことの方が多い。自然、隠れた名作というものを探すようになる。しかし隠れているのでなかなか見つからない。

 

寡作だったり、一発屋の作品を読むのは少し寂しい。その作家の世界が、それだけ狭いものである場合があるからだ。だが、寡作でも一発屋でも、大きく広い世界を創造している作家もいるだろう。

 

あまり考えたことはないが、文明文化は文学と命運をともにすると思う。衰退か、隆盛か。すべては互いの相乗効果だ。