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つらつら草~平行読書中。

主に読んだ本のことについて書くと思います。

折口信夫、安部公房、三島由紀夫の「詩」を読む

 

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いきなりパッとしない写真で失礼。上の画像は左から『三島由紀夫全集37』、『折口信夫全集23』、『安部公房全集1』である。上記のほかに幸田露伴なども持っている。折口信夫は国文学者で歌人、安部、三島は小説家である。念のため。

 

ちょっと変な収集を以前から続けている。それは、「詩人としてはあまり有名でない(知られていない)作家」の全集中、彼のものになる詩が収められている巻だけを集めるというものだ。それも、基本的に自由詩。ここまで絞るとだいたい数は限られてくる。ただし、これらは「縛り」ではなく、方向性だ。・・・あちこち探すと全集が中古でばら売りになっていることも多いため、そんなに難しいことではない。こういった試みをしている人がほかにいるのか、それはよくわからない。

なぜこんなことを始めたのか?

おそらく、頭の隅にあったのは、確か石川淳芥川賞の講評で「詩と散文の境目」について語っていたことがあったのではないかと思う。いつの講評であるかは忘れてしまった。ネット上で読んだので、今も読めるかもしれない。

小説家(散文家)の書く詩とは、どんなものなのか?

そんな疑問が浮かんできた。そこで、好きな作家や、面白そうな作家の全集をピンポイントで集め、鑑賞したく思ったのである。

和歌や俳句を除いたのには意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。自分でもよくわからない、勘である。

自由詩の良さは、その人の観念や思想を簡潔に、そして直截に表せることだろう。そして新たな韻律を創造することができる点である。

自分は詩の良し悪しを断言できないので、彼らの詩がはたしてどれほどの意力や叙情をもつのかは知らない。しかし彼らの詩を読んでみると、その生涯の主題や切実な叫びが凝縮されていることが多いのに気付くのである。

三島由紀夫は6歳からの詩が残っている。

安部公房の詩の多くは10代から20代前半のものだろう。

折口信夫は生涯にわたって自由詩をものしているようだ。

このように様々なアプローチで彼らは詩と向き合っている。

これからもひっそりとそんな詩を集め続けるだろう・・・。

 

同じように「詩人の小説(散文)」という主題もある。これはまた別の話・・・。

 

このブログではおおむね主観的に文学やそれに類するものについてアプローチを行っていきたい。一気に書いてしまったので誤字脱字、誤謬のたぐいがあるかと思いますが、最後までお読みいただきありがとうございます。